実戦・日本語の作文技術(本多勝一)
三章・かかる言葉と受ける言葉「直結」の原則(sites/21037892)
>美しい水車小屋の娘
【引用1】この句における「美しい」という形容詞は決して「水車小屋」のみにかかるのではなく、「水車小屋の娘」という語句全体を修飾しているのである。すなわち、 美しい→(水車小屋の娘) のように分解されよう。
【引用2】もう一つは重大問題と言わねばなりません。すなわち、この場合「美しい」は果して「水車小屋の娘」という語句全体にかかるのでしょうか。ドイツ語の場合は一語ですからその通りですが、あくまで日本語として考えるとき、やはり「美しい」は「娘」だけにかかるのではないかと私は思います。
本多さんは、引用1の考え方があることを示して、引用2という主張だと思う。
本件は、語順が、連体修飾語(美しい)+助詞ノ(水車小屋の)+中心語(娘) であり、『体言の体言』という型です。
第一に、連体修飾語は直後にある水車小屋に必らず係るのではないか。直後という理由で。だとするとその意味で引用2は誤りです。少なくとも直後の段階で係ったように映ります。
第二に、助詞ノの力学。助詞ノは体言と体言をつなぎますが、連体修飾語の係るパワーを素通りさせてしまいます。したがって、「水車小屋の」で止まらずに「娘」にまで及ぶ。
第三に、第一と第二が混ざった結果、①「水車小屋の娘」というまとまった句に係るのか、それとも、②二つにそれぞれ係るのか、さらには、③直後の水車小屋の段階では係ったような感じにはなるが、娘の登場で娘のみに係りが切り替わる、のか。私は、日本語の文法は「一つの連体修飾語が複数の名詞に同時に並列的に掛かる」ことを許していないと考えます。同時に句全体に係る文法構造を持っていないと考えます。したがって③です。この点は自信があるわけではありませんが、そのように考えることによってシンプルになります。
問題は、係り受けの構造分析ではなく、この気持ちが悪い文をスッキリさせるにはどうすればいいかにあります。それは、次の二択ということです。
【A】美しいを水車小屋に係らさせたくないのであれば、『水車小屋の美しい娘」としなければなりません。美しいを水車小屋に係らさせないためにはこの方法しかありません。
【B】美しいを水車小屋のみに係らせたいのであれば、『美しい水車小屋で働く娘』『美しい水車小屋に住む娘』のように素通りさせるノ以外で係りを止めさせる必要があるのです。
【C】本多勝一さんのように「美しい水車小屋の娘」の『美しい』は「娘」にのみに係って「水車小屋」には係らないという主張を前にして、美しいを「水車小屋の娘」という句に係らせたい〈ことを明確に〉したい場合はどうすればいいのでしょうか。★それが前述したように日本語文法にはないのだ。★「C1美しい、水車小屋の娘」だと便りないと思う。「C2美しい〈水車小屋の娘〉」とすれば明確になると思う。もとより、一つの修飾語で二つの異なる対象物を修飾することが無理なのかも知れない。「荘厳な水車小屋に住む美しい娘』というように。
前述で引用2を「誤り」とされましたが、本多さんがそこで言いたいのは文法的な構造ではなく、日本語母話者の「感覚」なのだろう。多くの日本人は『美しい水車小屋の娘』を読んだとき、まず「水車小屋」に美しさを感じ、次に「娘」に読み替えるという二段階の解釈をする。そのため、本多さんは「やはり『娘』だけに掛かるのではないか」と読者の自然な受け取り方を問題にしたのだろう。が、それにしても娘だけではないのだ。
日本語は、ドイツ語のように格変化で修飾関係が一意に決まる言語ではない。日本語において「単一の形容詞一語」のまま「句全体にかかっている」と読者に100%誤解なく伝えるのは構造的に困難。C2以外にない。
後半が乱れているが、考えはまとまっている。つまり、「美しい水車小屋の娘」は無理なものをやろうとしただけなのだ。だから、「美しい〈水車小屋の娘〉」という技法が望まれる。